三宅島応援隊勉強会〜くさや編〜
9月に行われた「愛らんどフェア2016」の際に話が盛り上がった、
三宅島応援隊の勉強会が実現し、参加させていただきました。
三宅島応援隊とは、三宅島出身の若者、在住者、関わりのある方々が登録し、
三宅島の物産やイベント等のスタッフとして参加し、PR活動を行う組織です。
登録数は20名を超えます。
物産の販売活動をしている時の商品の宣伝ポイントや、
三宅島の素晴らしさを言葉で伝えるということにおいて、
「もっとしっかり伝えたい」
という自主的な想いから勉強会が実現しました。
商品の作られた背景・歴史などを実際に現場を見て学び、
より具体的で魅力的なPRができる応援隊を目指します。
今回のメンバーは、観光協会の事務局長、応援隊3名でした。
スケジュールは、
◎くさや専門店 三宅島 清漁水産
◎三宅島酒造(酒造、お土産屋、カフェ)
◎島内自然ガイド
の3パート。
まず最初は、歴史のあるくさや屋さんに訪問 。
三宅島の神着という地区にあります。
昔はくさや屋さんは島内にいくつもあったものの、
現在営業しているのは2件となっています。
早速加工場を見せていただくことに。
【今回くさやについて教えてくださった大将の青山さん】
この勉強会開催のキッカケは、
島外で物産イベントを行った際に青山さんが応援隊に、
くさやの歴史を語ってくださった経緯があってでした。
くさや製造は、伊豆諸島独自の文化であり、
島で獲れる青ムロやトビウオなどの魚を、
時代を超えて育ててきた秘伝のタレにつけて乾かしたものです。
【秘伝のタレに漬けた魚を混ぜる青山さん】
300年以上も守り継がれている三宅島のくさや文化。
タレを少し味見させていただきましたが、
独特な深い海の香りがしました。
実際に見て聞いて見てグッときたポイントを紹介
①くさや液の復活劇
代々家宝として大切にしてきたくさや液も、三宅島2000年の大噴火による全島民避難によって置いて行かざるを得ない状況に。
避難生活中の最初は別のところで働いていたものの、
自らの心に問いかけ覚悟を決めて復興作業員として三宅島に戻る。
タイミングを見てくさや液を新島に持ち出し、
新島のくさや業者さんの協力のもと、三宅島のくさやの復活を目指す。
その後2005年に三宅島は避難解除とされ、三宅島への帰島を果たす。
その後も1度時間を置いてしまったくさや液を安定させることは難しく、
約10年の試行錯誤の上、ようやく安定したくさや液の状態まで辿り着いた。
本来商売敵である島と島との協力という点と、
前例のない復活への努力が伝わってきて感動でした。
②くさや液の目線
くさや液には適温があり、現在は季節によって温度を調節をしているとのこと。
しかし青山さんは、くさや液にも本来は四季があったはず(空調や氷の技術が進んできなかったため)で、それを年中調整して同じ温度にしてしまうのもくさや液にとっては、どうなのかな〜と呟かれていた。
くさや液にに対する愛情を感じた。
【くさやの成り立ち】
江戸時代に伊豆諸島は江戸幕府の管轄にあったため、年貢を納める必要があった。
傾斜地であることや気象条件の厳しい伊豆諸島では米などを作るのが難しく、
その代わりに島民総出で塩を生産し、年貢として献上をしていた。
その所縁として、釜の尻海岸や釜方海岸などの「釜」という地名が残っているという説がある。
三宅島には昔長根村という村があり、そこの村人が献上品である塩を屋根裏に隠し、そのことが発覚し一家は斬首になり村は解体され村人は別の地域へ散り散りになったという話がある。
要するに、それほど塩が貴重であったということである。
保存食として魚を塩漬けにする方法は以前からあったものの、
島民たちは工夫をして塩を節約しようと塩水につけて干す干物作り、
その塩水を使いまわし、徐々に塩水が発酵していきくさや液となっていった
と言われる。
出来上がったくさや液につけた干物(くさや)が意外に美味しかったため、
受け継がれていくこととなる。
現在では臭いが強いものから、マイルドなもの、焼く必要のないものなど一般に楽しめるようにバリエーションも増えている。
製造する島や業者によっても塩分濃度や製法、魚の種類は違い、個性がある。
「昔のくさやに比べて現在のくさやは臭みが薄くなった」と言われることもあるらしいが、
衛生環境の向上により、くさや液の中に住む菌のバランスが変わったのでは、という話もあり、くさや液は生き物であり環境により変わっていくものであるようだ。
テレビなどのメディアでは、
くさやを臭いものの代表として罰ゲームのように扱われることもあるけれど、
これだけの歴史と文化を持ち、
お祭りの時や島人が集まる時に欠かせないくさやは、島の宝ですね。
伊豆諸島それぞれの個性を生かしてこれからもずっと続いて欲しいです。
三宅島応援隊はこれらの情報や経験を踏まえて、
自信と誇りを持って三宅島の商品、三宅島をPRしていきたいと思います!
By いと〜まん(伊藤)
『島感舎看板』設置!
島根レポート②~隠岐諸島~
11月9日から14日かけて島根県出雲市と隠岐諸島の視察をしてきました。
島根レポート①に引き続き、第2弾は隠岐諸島視察の報告をしたいと思います。
隠岐諸島は本土から北方約50㎞に位置し、知夫里島、中ノ島、西ノ島(3島で「島前」と呼ぶ)と隠岐の島(島後)で構成されています。
隠岐諸島の行き方は、JR松江駅からバスで40分くらい走り、七類港もしくは境港まで行き、フェリーもしくは高速船で行きます。
1日目(11月12日)
出雲からまず、海士町のある中之島に向かう予定でした。時間きりきりで最終便の高速船に乗船!こっくりこっくり寝ていると、、1時間ほどで着いた着いたと思い、急いで降りると、、、あれ?
ここ、、、隠岐の島じゃん!!
確認した時のやっちまった感と言ったら何とも言えません。。。(本当は左の島に行きたかった。。。)
港を見返したときには乗ってきた高速船は出航しており、隠岐の島宿泊決定。。。
急いで海士町観光協会に行けないことを連絡し、宿の予約も次の日に変更してもらい、、、隠岐の島観光協会の方に急きょ、当日空いている宿を探してもらいました。。。
突然のことでしたがしっかりとした対応をしてくださり歩いて行ける場所に空いている宿を見つけてくれました。
お世話になった「竹の坊」さんの看板。とても風流。
「三宅島から来られたんですか!?」
女将さんにびっくりされた!どうやら女将さんの祖母が三宅島出身の方だったようで三宅島の話はよく聞いていたいとのことです。
ほうほう、こんなご縁もあるのだなーと思いながら、突然のため宿泊のため外食です。おかみさんのおすすめのお店にってきました!
こじんまりした小さなお店ですが、とても雰囲気良し!
一人飲みスタートしてすぐ!酔っぱらったおじさん登場!そのおじさん、松本さんと仲良くなり、次の日釣りに行くことを約束!『「隠岐は絵の島、花の島、磯にゃ波の花咲く里にゃ人情の花が咲く」って歌があるんだよ!連れていちゃる!』と言っていただきました!
宿;竹の坊に歌の書かれている屏風がありました。
のりのりで写真撮影!息子に送るんだとのこと笑(撮影:松本↑笑)
そして2件目、「スナックさくら」にも一緒に言っちゃいました!!
ここまできたら、間違えて隠岐の島に降りたことはとても良いことに変わっていました!
松本さんは酔っぱらいながらも隠岐の島の良いところ悪いところ、いろいろ語ってくれました。
隠岐諸島は隠岐の国と呼ばれることもあります。それは明治維新の時に起きた隠岐騒動に起因するものだということ。当時実行支配していた松江藩に物申し、自分たちの島を考え行動した結果だと、出身者の方は一つの誇りとしてとらえているようでした。
2日目(11月13日)
隠岐の島はたくさんの入り江があり、周囲の距離がとても長くなっています。ちなみに隠岐の島は約90㎞。
隠岐の島にある水産高校に通う高校生とそのお父さんも同乗!入江で穏やかなところで船釣りを午前中行い、アジ、サバ、サワラ、カイワリ↓等々が釣れました!
十分に楽しませてもらい、慌ただしく中ノ島行のフェリーへ!
中ノ島到着!
1日ずれにもかかわらず、温かく迎えてくれた観光協会。。。あんど!大島で知り合った海士町観光協会の千葉さんとお昼ご飯に限定隠岐牛丼をいただきました!
午後はレンタサイクルで海士町周辺を散策。
隠岐神社、村上家資料館、後鳥羽院資料館、お土産屋さんでMTG中のお姉さま方の中に混ぜていただき、島同士トークに花咲かせました!
前日泊る予定だった宿、但馬屋さん。
夕食は、自分の畑の米や野菜、自分の網の魚を提供していただき、大満足。
そして、女将さんによる海士町の民謡「キンニャモニャ」を披露してくださいました!サービス精神旺盛!
また、女将さんの娘さんたちが高校生の時、ちょうど海士町にある島前高校の「高校魅力化プロジェクト」が走り出していた時で、精力的に関わっていた女将さんの生のお話もゆっくり聞くことができました。
3日目(11月14日)
隠岐諸島最終日!
この日は、もうちょっと中ノ島を散策してから西ノ島にわたることを目標としました。
が!歩けば歩くほど、面白い出会いがあり、2回も時間をずらしました!
海士町からの指定管理で藻類から燃料を取り出す研究をしているとのこと!興味深し!
海士町についた時から気になっていた「島のほけんしつ」。島にある植物等を活用しアロマセラピーなどを提供しているとのこと。「こうゆう島だから必要なの」。アイランダーにも出展されるそうです!
9時くらいに隣の島、西ノ島にわたる予定が気づけば12時になってしまいました。
隠岐の島で出会ったおっちゃん、松本さんに「俺の車あるから使っていいっとな!」と言われ、乗ろうとしたその時、松本さんも登場!!!ええ!?
仕事で来ているとのこと、仕事は5分で終わるからということで一緒に観光していただきました!!
そうそう、言い忘れていましたが、隠岐諸島は世界ジオパーク認定を受けているところ。これまでジオ要素出してきませんでしたが、西ノ島で体感しました!
んー写真だけではなかなか伝わらないですね!!すごい迫力でした!!
隠岐諸島の島前(どうぜん)の島全体が噴火口で、島々はその外輪山にあたり、玄武岩質(大島、三宅島の質)と真ん中に流紋岩質(新島、神津島)の二つが重なっておりとても興味深いところでした。
松本さんは最後まで見送っていただき、また会うことを約束し、さよならしました。
本当にありがとうございました!
長い旅の終わりが近づいていることを感じ、たくさんのことを思い起こしました。
たくさんのご縁をいただき、学びをいただいた、島根の旅でした。
さあ、やると言ったことはやりましょう!!
by穴ちゃん
島根レポート①~出雲編~
11月9日から14日かけて島根県出雲市と隠岐諸島の視察をしてきました。
今回の目的は、①出雲と伊豆諸島のつながりを見つけること。②先進事例隠岐諸島の取り組みを吸収することでありました。
道中、たくさんの人との出会い、巡り合わせがありました。
そんな島根視察を2回に分けてレポートしたいと思います!
第一弾は出雲編です。
出雲は大学時代からお世話になっていた志賀厚雄さんがIターンで住まわれており、またもやお世話になってきました。
さて、なぜ出雲と伊豆諸島のつながりを見つけるかということですが、
【ちょっと神話のお話】
伊豆諸島の数ある神社の中には延喜式内社(927年にまとめられた神社一覧で、国家の保護を受けた神社のこと→つまり重要神社!!)がたくさんあります。数でいうと伊豆諸島だけで24社、三宅島だけで見ると12社もあるそうです。
伊豆諸島における延喜式内社はどうも、伊豆諸島造立の神とされている事代主神(ことしろのぬしのかみ:様々な名前があります。)が関わった神社が多いようです。その事代主神は出雲から来たと聞いた時にはおったまげ!!面白いつながりだ!
来た理由は国譲り神話にまつわる;出雲の地を譲ってくれと天照大神(アマテラスオオミカミ)に言われた大国主神(おおくにぬしのかみ)は息子の事代主神にその判断を託し、事代主神は承諾し、東へと旅に出たとのこと。。。
【1日目(11月10日)】
ということで、、、神話つながりのある出雲へ!!
東京から出雲市まで夜行バスで14時間!!でも寝るのが好きな私にはあっという間でしたね。
バス降車場所は出雲大社前。出雲大社は事代主神のお父さん、大国主神が祀られているとても有名な神社です。
そして、11月10日(旧暦10月)は全国の神様が集まり会議をする神在祭。(全国的には神無月ですが、出雲では神が集まる場所だから神在月とされています。)たくさんの参拝客で賑わっていました。
事代主神も故郷の出雲の地でゆっくりくつろいでいたかな!?
なんてことを想像しながら、志賀さんの車に乗って出雲大社の北側に位置する鷺浦(さぎうら)という集落に移動。
鷺浦は山川海がそろっている人口200人ほどの小さな集落。
ここで頑張っている方々とお会いし、意見交換をしてきました。
塩づくりの様子を見学。27歳フォトグラファーが仕切っていました!
20年前鷺浦にUターンし、地域活動されている方と意見交換。
そして午後は、山へ。ここにもたくさんの資源が眠っている状況を見せていただきました。この山の活用方法がいくらでもあることを感じました!
岬の先端からり下ろした海!絶景!
1日目は志賀さん宅でお泊り。将来ゲストハウス構想があるよう!隠れ古民家とグットロケーションでした!
【2日目(11月11日)】
この日は雨予報でしたが、晴れたので、これまた山へ笑
山谷を二つくらい上下したような笑
子どもたちが自由に遊ぶことができる素晴らしいフィールドがあり、ビジョンがありました。
かつて、ここに集落があり、ダムも人力で作られていた跡地。
こうした場所を、子どもたちが遊べる、考える、創る空間にしていく。三宅島のフィールドでもできる。そんな思いを巡らせながら必死に上りました。
2日目のお泊りは、ゲストハウスはまのや。
「本日の予約はお一人なので何時に来ていただいてもいいですよー」と言われ、20時くらいに到着。しかし、そこには何やら団体さんが!!飛び入りでさっき来られたよう!全国各地から神在祭ツアーで集まった団体で楽しくて延泊してしまった方々!
おかげで夜は大盛り上がり!&たくさんの学びがありました。
「次は三宅島ツアーだ!!」と言ってくれました☆お待ちしています!!
3日目(11月12日)
出雲最終日、ようやくゆっくり出雲大社にお参りができました。
出雲大社の拝殿。大きなしめ縄に圧倒されました。そしてすべてがでかかった!
出雲大社は縁結びの神でもあり、今回の出雲だけでもたくさんのご縁をいただきました。本当に感謝いたします。
出雲と伊豆諸島は神話でつながるところが多くあります。神話は先人たちが築いた一つのツールとして大いに活用し繋がり、今私たちが作る体験型ツアーのつながりも作っていけると今回の視察で実感しています。
そのためにはしっかり、三宅島で地に足をつけ、基盤を作っていくことの重要性も感じさせられました。(まだまだできてないからね。フラフラの状態です。)
だからこそ、一つひとつの出会いを大事にするとともに、一つひとつのことを真剣に取り組む。頑張ります!!
さあ、存分に出雲を楽しみ吸収したところで、かなり時間きりきりで隠岐へ!!
by穴ちゃん
40秒でしたくしな!!(byドーラ)
『冬の寺子屋キャンプ2016』募集開始!
夏に実施した寺子屋キャンプ。
もちろん冬にもやります。
『冬の寺子屋キャンプ2016』
このキャンプのテーマは、
『自分たちで考え決めて行動し、そして決めたことに責任を持つ』
昨今は決められてしまっていることが多い社会。
子ども社会では特にそうではないでしょうか。
しかしこのキャンプでは、
少人数である利点を活かして一人一人をよく見つめ、
そして子どもたちの行動に権限と責任を与えます。
例えば、
2日目のプログラムは子どもたちで話し合い決めますし、
何を食べるかも決めます。
買い出しも、設定された予算の中からグループで折り合いをつけ子どもたちがします。
僕たちスタッフのやるべきことは、
適切な安全管理
素材や場所の提供
行き詰まった時などの声かけ
善悪の判断
など。
三宅島の地球の循環を感じる大自然の中で、
「楽しい」を創り、
「なぜだろう?」を引き出し、
「調べてみる!」を実現させる。
この「学び」のプロセスを大切にしていきたい。
冬が寒いのは日本ではあたりまえ。
じゃぁその寒さをどう楽しむかをみんなで考えよう。
楽しさの素材はきっといっぱいあるよ!
【夏の寺子屋キャンプの様子↓】
ご興味持たれました方はご連絡お待ちしています。
担当:伊藤(いとーまん)
080-4477-1250
at.islands25@gmail.com
By いとーまん(伊藤)
『海洋自然体験指導者養成講座補講in葉山』報告
8月に実施していた
あいにく台風の影響のため延期をして、
本来2泊のスケジュールが1泊となっていました。
このスケジュールでは
の資格発行基準を満たさないため、補講を10月29日に行いました。
場所はご指導ご協力をいただいている、
神奈川県葉山にセミナーハウスがありますので、
講義はセミナーハウスにて。
自然体験のプログラム設計や、
自然体験の意義・安全管理などを学びました。
実技は歩いて3分ほどのところにある長者ヶ崎海岸。
寒いけど、頑張るぞー!
安全管理法をメインでトレーニングを行いました。
【ウェイトベルトの緊急脱着】
【溺水者の運搬方法】
【浜への引き上げから心肺蘇生法までの流れ】
補講のため参加者の日程が合わず参加できなかった方が多かったのは残念ですが、
意味のある、養成講座になったように思います。
今回の講座でできた仲間も、バラエティ豊かで最高でした。
ぜひ、今後とも安全で意味のある自然体験を提供できるように、
一緒に頑張っていきましょう。
自然体験を続けていくことが、
現代社会を生き抜く力を持ち豊かな情緒も持った人財を育てていく糧になるはずです。
すぐには結果は見えないけど、続けていきたいです。
By伊藤(いと〜まん)